おはようございます。山下正雄です。
新しい年を迎えていかがお過ごしでいらっしゃいますか。年が改まれば、気持ちも新たに切り替えて、新しい一歩を踏み出したいと誰もが願っているのではないでしょうか。そう願うわたしたちに深い考えを与える聖書の言葉があります。旧約聖書箴言16章3節の言葉です。
「あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ」
この時期、一年の抱負を尋ねられることがよくあります。自分を磨くためにしたいこと、自分をねぎらうためにしたいこと、社会のために貢献したいこと、家族や友だちのために何かしたいこと、様々なことが小さな人間の心の中に描かれます。どの一つをとってもそれを描く人にとっては大切な一年の抱負です。
しかし、思い描いたとおりに物事が進まないと言うのもよくある現実です。それは単に自分が怠け者であるためという理由もあるでしょう。あるいは立てた計画が最初から現実離れしていて、どだい実現すること自体が無理と言うこともあるでしょう。しかしまた、自分の身の丈にあった計画を真面目に実行していても、予期しない出来事のために計画が思うように進まないと言うこともあるでしょう。
先ほどお読みした箴言のことばには「あなたの業を主にゆだねよ」とあります。そうすれば計画は固く立つというのです。もちろん、神様にすべてをおゆだねしても計画どおりに進まない事だってあるではないか、という反論もあることでしょう。それに対して、計画どおりに物事が運ばないのは、ほんとうは神様に委ねきっていないからだという反論の反論もあるでしょう。しかし、そんな水掛け論ではせっかくの聖書の言葉が台無しです。
「あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ」という箴言の言葉を読むときに、新約聖書のヤコブの手紙に言われていることを思い出します。
「『今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」(4:14-15)
「あなたの業を主にゆだねる」とは「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と考える謙虚な姿勢です。人間は全能者ではないと認める謙遜さです。そのわたしたち人間を御心のままに、しかも父親のような深い愛をもって導いてくださる神がいらっしゃることを信じることです。
同じ箴言16章の9節には「人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる」と言われています。わたしたちにはすべてが可能だと考える思いを捨てて、わたしたちの歩みを一歩一歩備え、支えてくださる神を信じ、神とともに歩む姿勢、それが大切なのです。そのように謙虚な心で歩むときに、目先の結果よりもさらに大きな益を確信することができるのです。そのとき深い思いをもって「まことに神はわたしたちの計画を支え、導いてくださった」と心から告白することができるのです。
あなたの今年の計画を聖書の神が一歩一歩備え導いてくださいますようにお祈りいたします。