いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
よく、「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と現在だ」ということを聞きます。けれども、「あなたはダメですね、自分を変えないからいけないんですよ」などと言われますと、まるで人格全体を否定されたかのようで、心開けないものです。
聖書は、はっきりと私たちにある罪を指摘します。しかし、それは私たちを叩きのめすためではありません。そもそも、人は造り主なる神に似せて造られた素晴らしい作品でした。けれども、その期待には応えられませんでした。かえって神の教えを破り、逆らってしまい、罪に落ちてしまったのです。
神が罪を指摘されるのは、素晴らしい作品に立ち帰って欲しいからです。ただ残念ながら、この立ち帰りは人の力で出来るものではありません。それほどまでに決定的に離れてしまったのです。そこでイエス・キリストが神と人との架け橋となってくださいました。それが十字架です。
この十字架によって罪が赦され、私たちがどれほど素晴らしい方に似せて造られたかを知らされる、そのために罪が指摘されます。だからこそ、一見全面否定ではないかと思われる罪の指摘に、私たちを立ち上がらせるまことの神の愛があるのです。