ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
旧約聖書のコヘレトの言葉の3章11節に、次のような言葉があります。
「神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」
神様は一人一人の人生についても、色々と深い御計画を持っておられます。けれども、それを始めから終わりまで、今、全部見極めることは許されていません。隠されているのです。それで、私たちは将来について、色々と計画したり、希望を持ったりしますが、しかし不安になったり、望みを失ったりもします。実際人生の途中で、時には、こんな不幸に見舞われて、いったい自分の人生はどうなっているのかと叫びたくなるようなことさえあります。
けれども、新約聖書、ローマの信徒への手紙の8章28節には、こういう言葉もあります。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
つまり、神様を信じていくならば、善いことも、一見悪いと思われることも、万事が、全てが、益になるように働くというのです。神様がそのように御計画してくださる、そのように導いてくださる、というのです。私たちは、神様が万事を益としてくださるという神様の約束を信じて、神様に信頼し、お委ねして、お従いしていくのです。たとえ人生の途中で、不幸に見舞われるようなことがあっても、私たちには見極められない、深い神様の御計画があることを信じるのです。今は、まだ隠されている計画なのです。いつかきっと、万事が益となったと言える日が来ます。