ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
自分では、よかれと思ってやったことなのに誤解されて、かえって人から非難されてしまう、そんな経験はないでしょうか。それはとても悲しい、あるいはくやしい経験です。
聖書の中に次のような言葉があります。
「主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てを明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」
表面的な判断だけでは分からないことがあって、それでイエス様が最終的に判断されるということです。そのときには、闇の中に隠されている秘密や心の企ても明らかになるというのです。闇の中に隠されている秘密や心の企ても明らかになる、というと何か怖い感じがします。けれども、ここでは悪い意味で言っているのではありません。心の企てが明らかにされた結果、一人一人が神様からほめられると言っているのです。
つまり、表面には現れてこなかったその人の思い、人のためによかれと思ったこと、そういうことがちゃんと考慮されるということです。あるいは、本当はもっとちゃんとやりたかったんだけれども力が足りなかった、それでも一生懸命やった、そういう心の思い、そういうことがちゃんと考慮されるということです。そういうことも全部、神様が明らかにしてくださって、そうしてよくやったと褒めてくださるということなのです。表に現れなかった、心の願い、よい動機、神様はそれをちゃんと見ていてくださいます。