いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
マタイ福音書第2章にあるキリストの誕生物語を読むと、ユダヤに新しい王が生まれたことを示す星を見て、遠くから東方の学者たちが王子に会うためにエルサレムにやってきました。
ときの支配者ヘロデのところへ行くのですが、そこに幼子はいません。旧約聖書によるならベツレヘムにいるはずだと教えられるとそこに向かいます。
学者たちが出かけてみると星が先立って進み、幼子のいる場所にとどまりました。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」と聖書は書いています。
星によって東方の学者にキリストの誕生が知らされたのは、イエス・キリストがユダヤ人だけではなく、全世界の救い主であるからです。
また、学者たちが幼子を見て、礼拝をささげる姿には、キリスト教信仰のあるべき姿が描かれています。貧しいマリアに抱かれた幼子には、神様の啓示以外に、将来王となることを保障するものは何もありません。学者たちは、天からの啓示だけで幼子が王になることを信じ、イエスに礼拝をささげました。
聖書は、キリストの死と復活は、神がなされた救いの御業であること、このキリストを信じる者に永遠の命が約束されていること、再びキリストが来られて、まことの王として神の御国を完成なさることを約束しています。
東方の学者が啓示に信頼したように、神の啓示である聖書に信頼して、将来の約束を信じ、キリストを救い主として礼拝をささげるのがキリスト教信仰です。