あさのことば 2008年9月11日(木)放送     あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

後藤公子(東京恩寵教会会員・元インドネシア宣教師)

後藤公子(東京恩寵教会会員・元インドネシア宣教師)

メッセージ: 十字架の上で

 ごきげんいかがですか。後藤公子です。
 昨日お話した十字架刑は、かつてローマ帝国で行われた最も残酷な死刑の方法でした。罪のないイエスさまが的外れな生き方をしている私たちを神のみもとに連れ戻し、神の子とするために、十字架の上で私たちの身代わりとして罰を受けてくださったのです。だから十字架はキリスト教会のシンボルなのです。

 神に背を向けている人間が直面する根本的な問題は罪です。罪とは的外れである、と言いましたが、もっとわかりやすく言えば、自己中心です。自己中心が戦争を起こし、家庭を壊し、職場や社会で人間関係に亀裂を生じさせ、学校でいじめを起こします。ねたみや中傷で多くの人が傷ついています。多くの人が企業のエゴの犠牲になり、リストラされ、また過労死に至るほどの厳しい労働条件で働かされています。私たちは被害者となりますが、また加害者ともなります。人間は例外なく自己中心な者なのです。
 聖書は言っています。

 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマの信徒への手紙3:23)。

 十字架は、そのような自己中心で惨めな私たちを救うためのものでした。イエスさまを救い主と信じ受け入れる時、罪が許されるだけではなく、神の恵みによって、無償で義とされ、永遠の命が与えられ、天国に国籍をもつ者とされるのです。

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