ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
だいぶ以前、ある方から電話でこんな相談を受けたことがあります。自分は以前、お金を盗んだと言う疑いをかけられたことがある。年月が経ったがそのときの悔しさが心に残っていて苦しい、どうしたらよいかと言う質問でした。
詳しく事情を聞いてみるとそれは20年以上も前の出来事で、今ではそのとき自分を犯人扱いした人がどこにいるのかも分からないと言うのです。考えて見るとこの方は、自分を犯人扱いした人を20年以上も忘れることができないでいると言うことになります。いまさらその相手をもし探し出したとしても、その問題を本当に解決することはできないでしょう。
聖書は私たちに他人の罪を許すことを勧めています。それは私たちが自分の大切な人生を、恨み辛みで費やしてしまないためでもあるのです。ところが問題なのは私たちはそのように勧められても、相手の罪を許すことができないと言うことです。どうしてでしょうか。それは私たちが他人の罪を許す力を持っていないからです。実はその力は神様からのみ与えられるものなのです。神様はキリストを通して私たちの罪を許してくださいました。そしてその神様の許しを受けた人だけが、人を赦す力を神様からいただくことができるのです。
聖書の言葉
「わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように」マタイによる福音書6章12節。