ご機嫌いかがですか。網島教会の川杉安美です。
イエス様が色々と教えをなしておられたときのことです。ある女の人が声高らかに言いました。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」つまり、イエス様のような偉大な方を産んだお母さんは、なんと幸いなことでしょう、というのです。けれどもそれに対してイエス様はおっしゃいます。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」
ここで、神の言葉を聞き、それを守るというのは、神の言葉を聞き流すだけではなく、しっかりと受け止め、心にとめ、自分に当てはめるということです。神の言葉を信じ、信頼し、実行していくということです。そのようにする人が、イエス様を産んだということよりも、もっと幸いなことだというのです。
聖書の別の箇所では次のようなイエス様の教えもあります。
「私の母、私の兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである。」
イエス様は、神の言葉を聞いて行う人たちこそが、イエス様の家族になるとおっしゃっているのです。イエス様の実際の親族というつながりよりも、神の言葉を聞いて行う、そういう人こそがイエス様とつながっているということでしょう。これなら、エルサレムから何千キロも隔たった日本の地の、2000年も隔たったこの時代の、あなたにもできることではないでしょうか。
イエス様は、あなたが神の言葉を聞いて、心にとめて、守っていこうとするなら、イエス様を産んだということよりも幸いだとおっしゃいます。イエス様の親戚であるということよりも、もっとしっかりとつながって、イエス様の家族なのだとおっしゃいます。あなたもです。