ご機嫌いかがですか。網島教会の川杉安美です。
ずいぶん前の話しですが、私が教会に行き始めてまもないころ、神様が本当にいるなら語りかけてくださらないかなと思ったことがありました。神様の声が聞けたら、神様がいるとはっきり確信できるのではないかと思いました。そんなことを願いながら、一生懸命お祈りしたこともありました。けれども、直接神様の声を聞くことはありませんでした。今ではそれでよかったと思っています。
ときどき教会に「私は神様の声を聞きました。」とか「神様が夢で私に語りかけました。」とかおっしゃる方が来られることがあります。しかし、そういう方は残念ながら教会に通うようにはなっていただけません。やはり、何か違うようです。
聖書のヘブライ人への手紙1章1〜2節に次のような言葉があります。
「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終りの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」
神様は、確かに昔は預言者たちによって、多くのかたち、多くのしかた、それこそ夢や幻や奇跡や、様々なやり方で語られたというのです。けれども、今の時代には、御子によって、つまりイエス・キリストによって、わたしたちに語っておられるというのです。具体的には、イエス・キリストを示す聖書によって、語っておられるということです。聖書を学んで、イエス・キリストを知っていく、そういうことを通して、神様の語りかけを聞くということです。
神様はあなたにも、イエス・キリストによって語っておられます。聖書を通して、語っておられます。神様の方は、語っておられるのです。