ご機嫌いかがですか。網島教会の川杉安美です。
こんな話を聞いたことがあります。古代のローマ時代だったか、あるいは違う時代だったかもしれませんが、ある王様が疑問を持ちました。人間は色々な国の言葉をしゃべるけれども、生まれた赤ちゃんが、外から何にも話しかけられなかったら、いったい何語を話すようになるのだろうかと。で、実際にそれを何人かのあかちゃんを使って実験してしまったそうです。恐ろしいことです。結局その実験は失敗に終わったそうです。なぜなら外から何も、ひと言も話しかけられなかった赤ちゃんたちは、結局みんな亡くなってしまったそうです。
言葉というのは、なんと大切なものでしょうか。語りかけるということは、何と大切なことでしょうか。命にもかかわるとは。
聖書のマタイによる福音書の4章4節に次のような言葉があります。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」。
有名な言葉なので、どこかで耳にしたこともあるかもしれません。これは何も食べることを否定しているわけではありません。もちろん、健全な食生活をして生きることは大事です。けれども人として生きるというのは、ただ肉体的に、生理的に生きるというだけではない、精神的、霊的にも生きるのです。そのためには、精神的、霊的な糧としての、神様からの言葉も語りかけられる必要があるのです。本当に生きるためには、神様の言葉を必要とするのです。その神様の言葉というのは、今日では聖書に記されています。
聖書の言葉は、あなたに語りかけている言葉です。あなたが、生きるために、語りかけている言葉です。