お元気にお過ごしですか。いずみ教会の小堀昇です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
「あなたは、何のために生きているのですか?」
このように問われた時に、あなたは、どのように答えることができるでしょうか。この問いは、刹那的な生き方がもて囃されている昨今、あまり耳にしない問いであるかもしれません。しかし、これこそがあなたの人生を幸福にする根源的な問いであるということができます。
ドストエフスキーの「死の家の記録」という本があります。そこに、囚人に対する拷問の様子が記されています。例えば、バケツいっぱいの水を、別の空のバケツに移し変えることを延々と繰り返させること。地面に穴を掘らせて、それをまたすぐに埋めることを何度も繰り返させること。砂の入っている臼を、延々とつき続けさせること。バケツの砂を、空のバケツに移してまたそれを元に戻す、それを延々と続けさせること。このようなことを続けると、人間は間違いなく発狂して死んでしまうそうです。何故でしょうか。それは自分のしていることに、何の創造的な意味も、前向きな可能性も建設的な意味も見出すことができないからです。
人生にも同じことがいえると思います。私は何のために生まれ、何のために生き、何処に行こうとしているのか。この究極命題に対する答え、人生の目的を知らなければ、充実した人生を送ることは決してできないのです。
パスカルは、人は神に出会うまでは決して埋めることができない空洞が心の中にあるのだと言いました。私達の心は、神に出会うまで、本当の安息を見出すことはできないのです。聖書はこう語ります。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)。
人生80年、29,200日、あなたはどなたと歩みますか? あなたもイエスに出会い、どうぞ生きる意味を見出して下さい。 それではまた御機嫌よう。