ごきげんいかがですか。網島教会の川杉安美です。
キリスト教では、信じている神様のことを「生きている神様」と呼ぶことがあります。
その場合、「生きている」というのは、確かに命がある、そういう意味もありますが、もう一つ、動く、働きかける、そういう意味もあるんです。ですから反対に、動かない、働きかけないものを「死んでいる」と表現することもあるのです。たとえば植物は動かないので死んでいる、そう表現するわけです。
ですから、キリスト教で、神様のことを「生ける神様」と呼ぶのは、一つには確かに神様は生きておられる、単なる作り物や人間が頭の中で想像したものではない、命がある、そういう意味があります。
それとともに、どこか遠くのところで勝手に生きているというのではなく、動いている、働きかけてくる、そういう意味もあるのです。人間の世界に、人間一人一人に、働きかけてくる、そういう神様だということです。
実際、聖書を見ると、神様が歴史の中に働きかけてこられた、あるいは具体的に一人一人の人に働きかけてこられた、そういう姿を、まざまざと見ることができます。働きかけ、語りかけ、導き、祝福し、あるいは戒め、裁き、そのように生き生きと働きかけてこられた、という事を見ることができます。人間の世界は、決して神様と無関係に動いているのではありません。聖書にも書いてあります。
「人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。」