お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
新約聖書ヤコブの手紙にこんな言葉があります。
「わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません」(3:9-10)
言葉の失敗と言うのは誰にでもあるものです。聞く人の気持ちを考えずにうかつなことを言ってしまうからです。そういう言葉の失敗は相手の気持ちを思い遣る想像力が足りないことによるのです。。
しかし、ヤコブが問題としている言葉の失敗は、心そのものの問題です。ヤコブは同じ口が神を賛美し、同じ口が人を呪うことを嘆いています。一人の人に別々な口があれば結構だと言っているのではありません。同じ人間の中に賛美と呪いが同居していることがそもそもの問題なのです。一方で神を賛美しながら、他方で、その神がお造りになった人間を呪うとすれば、その人の神への賛美は一体なんであったのか、疑わしくなってしまいます。「塩水が甘い水を作ることもできません」とヤコブは言っていますが、呪う心からまことの賛美は湧き出ないものなのです。
言葉の過ちというのは、元を正していけば、結局のところ、まことの神を畏れ敬う気持ちが欠けている心に問題の根があるのです。
きょうのみ言葉・・・「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」
ヤコブの手紙3章2節