お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。
この水を飲んだら病気にならないとか、この壷を買ったらお金持ちになるとか、いろいろ都合の良いことを言って、人を騙す宗教があります。しかし、実際に無病息災、家内安全、商売繁盛、そういったご利益をうたい文句にしている宗教はたくさんあります。ですから、ある方は宗教というのは人間の願望の投影だと言いました。わたしもある面ではそうだと思います。
しかし、それならキリスト教信仰も、そうした願望の投影に過ぎないのでしょうか。決してそうではありません。新約聖書のフィリピの信徒への手紙1章29節で、パウロは次のように語っています。
「あなたがたは、キリストを信じるだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」
パウロは自らの体験を振返ってキリストを信じる自分の人生に、多くの苦しみがあることを告白しています。聖書は決して、キリストを信じたら、苦しいことや、悲しいことがすべて無くなるとは教えてはいません。わたしたちは信仰を持っていても、苦しいことや、悲しいことを経験するものです。しかし、その苦しみの中、悲しみの中にも、恵みを見出すことができるようにされる。その苦しみを乗り越える力を、神から与えられるのです。キリスト教信仰はこの恵みをあなたに約束しています。