お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。
有名な心理学者であり、精神科医であるフランクルという人がいます。彼は第二次世界大戦中、ユダヤ人である為にナチスによって強制収容所に送られるという体験をしました。そんな彼がある本の中で次のように語っています。
「悲劇に直面していても幸せな人はいる。苦しみにも関わらず存在する意味の故に。癒しの力は、意味の中にこそあるのである。」
彼は人間が生きるためには意味が大切だと言います。しかし、その意味は人間が勝手につけるものではなく、あらゆる現実の中に、既に存在するものだと言うのです。
そうであるならば、誰が最初にその意味を与えたのでしょうか。旧約聖書コヘレトの言葉3章11節は次のように教えています。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されない。」
すべてのものは神によって創造され、神の意思によって導かれています。この世界に無意味なものは何一つありません。もちろん、あなたが経験したことの中には、意味が分からないこともあるでしょう。「どうしてなのか!」と叫びたくなるようなこともあるかもしれません。しかし、あなたが神と一番相応しい時に、その意味をあなたに与えてくださいます。