おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第102編19節の言葉です。
「後の世代のために このことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」
何年か前、韓国で「君は愛されるため生まれた」という歌が流行ったことがあります。その歌詞はキリスト教の人間観を見事に言い表しています。人は神から愛されるために生まれてきたのです。
ところで、聖書の世界では、神から愛され、神から恵みをいただいた人は、神に感謝し、神をほめたたえるのが当然のこととして描かれています。詩編そのものが数多くの感謝と賛美に満ちています。言い換えれば、人は神を賛美して生きるものなのです。
しかし、多くの人にとって、何かを賛美するために人は生きているという考えは、とても奇妙に感じられるに違いありません。しかし、人間と言うのは何かをほめたたえずに生きるということは難しいようです。自然の驚異をほめたたえたり、人間の偉大さをほめたたえたり、果ては自分自身をほめたたえて生きているものです。むしろ、賞賛に値するものを何も知らずに生きるというのは空しいとさえいえます。
ただ、いったい何に感謝をあらわし、何をほめたたえて生きるのか、それが問題なのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。