おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第42編9節の言葉です。
「昼、主は命じて慈しみをわたしに送り 夜、主の歌がわたしと共にある わたしの命の神への祈りが。」
この詩編42編全体は嘆きの詩編です。深い絶望感が支配しているように見えます。その絶望感は「お前の神はどこにいる」という敵の問いかけによって一層深まります。なぜなら「我らの恵みの神はここにいましたもう」と確信をもって答えることができるようなものを何も持ち合わせていないからです。鹿が谷川の水を求めても、涸れた谷で水を得られないのと同じように、この詩編の作者は神を渇き求めても、手ごたえを得られないのです。「いつ御前に出て 神の御顔を仰ぐことができるのか」と不安な嘆きが口をついて出てきます。
ところが、全体を暗い嘆きの声が覆う中で、9節の言葉だけが、前後の暗さから切り離されたように輝き出ています。
「昼、主は命じて慈しみをわたしに送り 夜、主の歌がわたしと共にある わたしの命の神への祈りが。」
この詩編の作者を取り巻く現実は神の存在を覆い隠すほどににっちもさっちも行かないものだったのでしょう。しかし、祈りの中で、この詩編の作者は神の慈しみをしっかり受け取り、主の歌を歌う元気を与えられたのです。祈りこそが嘆きを希望へと変える力となったのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。