おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第25編12節の言葉です。
「主を畏れる人は誰か。 主はその人に選ぶべき道を示されるであろう」
聖書の神をほんとうに畏れ敬う人とはどういう人なのか、これは聖書全体の中で繰り返し問われている問です。そして、その答えは聖書の中に様々な形で言い表されています。
きょうの詩編の箇所では「主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう」と言われています。言い換えれば、神から選ぶべき道を示される人が、神を本当に畏れ敬っている人だということになります。
しかし、考えてみると、選ぶべき道が示されるとは言っても、神の声を実際に聞くと言うことは誰もが経験することではありません。神の手がひょいと伸びてきて、わたしの腕を掴んで選ぶべき道まで導いてくれると言うわけでもありません。むしろ、選ぶべき道が分からなくて、聖書を読み、祈り求める毎日です。それでは、主を畏れる人というのは聖書の神を信じる人たちの中でさえほとんどいないということなのでしょうか。
そうなのではありません。選ぶべき道が分からなくて、聖書を読み、祈り求める毎日こそが、聖書の神を畏れ敬う生き方そのものなのです。その者こそが、神からの導きを素直に聞く者なのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。