熊田なみ子のほほえみトーク 2007年10月30日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

あなたとわたしの生きてる時間 小さなつぶやき

 「困った どうしよう・・・」私に起こった小さなつぶやき。「確かにここにしまったのに」なくしたものは大切な母のペンダント。人間の記憶ってすごく曖昧ですね。「ここに置かないはずがないのに、そこにもない?いったいそれではどこに置いたの?・・・」あちこち捜してもどうしても出てきません。母が旅先で見つけたペンダント。15ミリほどの小さな円形で、ステンドグラスを思わせる色使い、どんな洋服にも合うし、とっても気に入っていたのです。「あきらめきれない、でもどこを見ても出てこない」そんな状態が10日ほど続いたでしょうか・・・。
 ある晩ふと思いました。「困った、困ったとつぶやいてきた、でもお祈りをして神様に助けていただくことを願わなかった・・・」。私の中に「こんな些細なことをお祈りするなんて」という気持ちがあったのです。「でも事実、今、困っているではないか、絶対見つけたいものなのに。神様は現実に共におられて働いていらっしゃるではないか、なぜもっと幼子のように神様助けて!と叫ばないのか。」

 なんと私は愚かなのだろう。その後すぐ、引き出しの奥にネックレスが絡まり、何気なく引っ張った時、するするとペンダントも出てきたときの驚き。神様に信頼して祈ることの大切さが心に刻まれました。小さなつぶやきを祈りに変えてくださったのは神様です。幼子のように神様に信頼して生きる大切さ。私の生きてる時間の中で働いてくださった神様の恵みでした。

 では、もし見つからなかったとしたら、恵みがないのでしょうか?「たとえそうでなくても」神様の恵みがそこにはあるというのが聖書のメッセージです。「どうして?なぜ?こんなことになってしまうの?」私たちはつぶやきます。先日、「神様を信じてもちっともいいことがない」と言って教会を離れてしまった人を心配する方とお話ししました。「自分だけいやなことばかり起こる」と憤慨してしまったのです。「どうして?なぜ?」とつぶやいてしまう。どこまでも私たちは自分の思うようにならなければつぶやく罪人です。
 家族の有様も罪の中にお互いを責め合う傷がどんどん深くなっていきます。「こんなことになったのはお前が悪い」「違う、あなたが悪い」と叫ぶのです。相手に責任をなすりつけるのが罪人の姿。アダムはエバに、エバは蛇に、となすりつけるのです(創世記3:9-13)。

 小さなつぶやきが始まる時、神さまがそれを祈りのことばに変えてくださいますように。私たちを愛してくださるお方が、私たちに良くしてくださらないはずがありません。
 あなたがどんなつらさの中にあったとしても、つぶやきを祈りに変えて、神様に向かうことができますように心から願っています。「たとえそうでなくても」神様はきっと神様のお考えの中で、一番よくしてくださるのだ、と。そして、そのように現実のつらさを抱えながら神様を信頼して生きる愛する方々と共に礼拝を捧げる時、確かに働く神様の力を思い、私は深く教えられているのです。

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