こんな詩があります。「はじめてのものは 新しい けれどよく知りつくしているものは もっと豊かだ はじめて会ったとき 私はあなたを恋した けれどいま 私はあなたを愛している たがいにたがいの運命となっていく 土が樹を育てるように 樹が土をよみがえらせるように そしてふたりが余りに近いとき 私はひそかにあやぶむ 熟れすぎた愛の果実がもう落ちはしまいかと」(「四月のうた・谷川俊太郎詩集「魂のいちばんおいしいところ」(株サンリオ)より」。あなたは恋に悩んでいませんか?
私は5月のはじめに改革派教会の全国青年会に参加させていただき分科会で「男と女 恋愛や結婚」について共に語り合おうとしています。旧約聖書の雅歌2章には、美しい男女の愛し合う姿が描かれていて、アンドレ・ギャニオンのピアノの世界のようにゆったりと美しく味わいたい言葉ですね。
「恋しい人は言います。「恋人よ、美しい人よ さあ、立って出ておいで。ごらん 冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲きいで、小鳥の歌う時が来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しい人よ さあ 立って出ておいで」(雅歌2:10-13)
神様が創造された世界、男と女が存在する不思議。そして、お互いを捜し、求め、愛し合う不思議。人間とはいったい何者なのでしょう(詩編8:1-10)。とダビデも歌いました。男と女と共に、イエスさまがいてくださるなら、熟れすぎた愛の果実も落ちることなく真実の愛に助けられていくことでしょう。でも罪深い人間は、一人を愛しぬくことが出来なくて、次から次へと恋を追い求め、さまよいながら帰るところを捜しているのです。「本当の人間とはいったい何者か」を知ることなしに男と女の関係は満たされることはないのです。なみこ