引っ越しであれこれ愛読書の移動をしました。久しぶりに手にした本が私の心をとらえています。「子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)」(エリーズ・ボールデイング著・松岡享子訳・こぐま社)。
いつでも私たちは、情報に振り回され、一人で静かに考える時を失っていると感じます。
「花の回想」 須藤 あきこ
ある日 土のおもてに ひょっこり 顔をのぞかせたわたし
暗やみで 気が遠くなるほど ながいあいだ じっと耐えていた
あれは わたしを 支えるための 知恵と力の 現れだった。
小さな朗読会が大好きなリスナーのあきこさんの詩、心に沁みますね。あきこさんのタイムアウトはきっと長い長い間続いたことでしょう。でも春、ひょっこり咲き出す花々のように生き返ったような時が巡ってきた不思議。そのために必要だった孤独の時。
情報の洪水に押し流されて自分を見失い、一体自分はどこに向かって何をしていきていけばよいのか、見えてこない。そして子ども達にも私たちはそうしていないか?と問いかけられています。「ひとかたまりのまとまった時間」「孤独(ひとり)の時」を持つことなくして本当の創造的な生きる力は育たない、というのです。生きる力をみせかけではなく本当にいただくにはタイムアウトの時間が必要だというのです。決まりきった日常からの変化は、人間の内面の発達を促すのであると。日曜日、教会に行ってみる、私は子どもも大人もこんな「神聖なタイムアウト」としたらどうかとお勧めします。礼拝には、神様を畏れるという思いと、爽やかな緊張感が漲っていて、聖書のみことばを聴き、賛美し、祈るという教会でなくてはいだだけない素晴らしいひとときがあるのです。