おはようございます。安芸にあります芸陽教会の宮武輝彦です。今朝も、神さまの御言葉に共に耳を傾けていきましょう。
イエス・キリストがお生まれになった時代は、ローマ帝国の支配している時代でした。ルカによる福音書第2章1節には、「そのころ、皇帝アウグスティヌスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリヤ州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」と書かれています。このとき、聖霊によってすでにイエス・キリストを身ごもっていたマリヤは、夫ヨセフと共に、ガリラヤからの町、ナザレから、ユダヤのベツレヘムの町へ上っていったのです。それは二人で、住民登録をするためでした。
そしてこのとき、ヨセフとマリヤがベツレヘムにいるうちに、マリヤは月が満ちて、イエス・キリストを生み、布にくるんで、飼い葉桶に寝かせました。このイエス・キリストがお生まれになった場所は、家畜小屋だったのです。それは、住民登録でベツレヘムの宿がどこもいっぱいで泊まるところがなかったからでした。
わたしたちはこのようなイエス・キリストのお生まれになった時の様子を知るとき、キリストは王さまのように生れた方というよりも、貧しい者として生れたことを知ることができます。もともと神さまの栄光に満ちておられた方が、その栄光をお捨てになって、わたしたちと同じようになってくださったことをこのイエス・キリストのお生まれになった様子はわたしたちに物語っています。
イエス・キリストがお生まれになった時代も、体制としては帝国の支配下で秩序が整っていながら、人々の心は救われていませんでした。今日も、社会秩序や、国家の秩序は整いながら、なお、多くの人々の心は不安で、先行きに確かな望みを抱くことのできないままではないでしょうか。しかしながら、家畜小屋でお生まれになったイエス・キリストの光はわたしたちの心の中に、本当の生きる喜びと希望を与えてくださるのです。それは、イエス・キリストご自身のうちに神さまの恵みの豊かさがあらわれているからです。
イエス・キリストがわたしたちの救い主となられたことを人々に宣べ伝えたパウロという人は、こう言いました。「すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(コリントの信徒への手紙二 8章9節)わたしたちは貧しさを考えるとき、お金や、食べ物の乏しいことをまず、思い浮かべるかもしれません。イエス・キリストの貧しさは、本当の心の貧しさをわたしたちのために担ってくださったということです。
インドのカルカッタで身寄りのない子供たちのために力を尽くしたマザー・テレサさんは、こう言いました。「今日のもっとも大きな病は、自分は求められていない人間なのだという思いです。」と。そして、マザー・テレサさんはこのように祈りをささげました。「主よ、日ごとに、あなたの子なる病める者のうちに、あなたを見、彼らをみとることによって、あなたに仕えることができますように。・・病める者のうちにあなたを見まつる信仰をお与えください。」と。神さまの知恵に満ちて、人々に福音を知らせたイエスさまご自身もまことの神さまの見られる心をこのように言い表されました。「はっきり、言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)
イエス・キリストの貧しさを受け入れるとき、わたしたちはその言葉を知っていることを、心からの振る舞いにおいてあらわす様に導かれていきます。それは、最も小さく、貧しくされたものの中に働く、神の恵みを認めるように変えられていくからです。どうぞ、あなたの今日の歩みの上に、このイエス・キリストの恵みが満ちあふれますように、心よりお祈りいたします。