タイトル: 赤ちゃんポスト、その後は? ハンドルネーム・あいさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネームあいさんのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、こんにちは。わたしのことを覚えていらっしゃいますか? もう随分前になりますけど、赤ちゃんポストのことでメールしたあいです。先生は昨日のニュースをもうご存知ですよね。赤ちゃんポストのニュースです。
始まったばかりの赤ちゃんポストに3歳の子が預けられたと聞きました。本当にびっくりです。3歳なら自分がどんな状況なのか理解できる年齢です。本人もすごくショックだったと思います。あんな小さな場所に押し込められたら、きっとトラウマになってしまうのではないかと思いました。
これでまた、赤ちゃんポストに対する世の中の議論が沸騰しそうですけど、先生はどう思われますか。わたしの周りでは賛否両論です。ただ一つ言えることは、賛成の立場の人も反対の立場の人も、捨てた親に対する非難の気持ちでは一致しているような気がしました。そういう親がいるからこそ、子どもの命を守るために赤ちゃんポストは必要なんだという立場の人がいるかと思えば、そういう親がいるからこそ、無責任な親を助長しないためにも赤ちゃんポストは止めるべきだという立場の人です。結局、悪いのは親ということなのでしょうか。
先生のご意見を是非聞かせてください。よろしくお願いします。」
あいさん、メールありがとうございます。あいさんの前回のメールもとってもタイムリーだったので、よく覚えています。そして、今回もさっそくメールくださってありがとうございました。ただ、前回もそうでしたが、この番組は放送日がずっと後になってしまいますので、せっかくのタイムリーな話題も、放送されるときにはとっくの昔の話になってしまっているかもしれません。もっとも、その方が良いということもあります。人々の関心がすっかり薄れてしまった頃に、再び問題意識を呼び覚ますのも良いのかもしれません。
さて、赤ちゃんポストの運用が始まったばかりの頃に、3歳ぐらいの男の子が父親によってポストに預けられたというニュースは大変ショックな話題でした。ここで、放送を聴いてくださっている方に少しだけコメントしますが、今、この番組を録音しているのは5月16日です。今、話題にしているニュースは5月15日の朝に流れたニュースでした。熊本県にある病院の一角に設けられた「こうのとりのゆりかご」と呼ばれる設備が5月10日に運用を開始してから、わずか数時間後のことだったと伝えられています。しかも、その親子は報道によれば、県外からやってきたとのことです。これが録音日現在わたしの手元にあるニュースの記事です。そして、病院側では一切のことについてノーコメントであるとも聞いています。
あいさんの質問に促されて、赤ちゃんポストのことをはじめて番組で取り上げたのは、今年の1月24日の放送でした。あのときわたしの意見として放送の中で述べたことは、今でも基本的に変わっていません。何はさて置いても、子供の命が最優先されることを考えると、今回の事件は病院にとっては想定外のことだったかもしれませんが、それでも、子供の命が守られたという点で「こうのとりのゆりかご」はちゃんとその目的を遂げることができたのだと思います。
1月24日の番組の中では、最後の方で少しだけ言いましたが、「このようなシステムを利用せざるを得ないその人の現実と心の苦しみにも目を向ける必要があるのではないか」ということは、今回の出来事でいっそうそう思うようになりました。
あいさんの周りでは、今回の事件で赤ちゃんポストンに対する賛否両論の立場の中で、「悪いのは無責任な親だ」という点では一致しているとのことです。わたしの周りでもほぼ同じような傾向です。
わたしも含めてそうなのですが、今回のことについては実はコメントするにはあまりにも情報がないということです。それなのに、事件の親は「無責任だ」と決め付けた上で赤ちゃんポストを論評しようとしているのは、あまりにも一方的過ぎると思うのです。第一、赤ちゃんポストの背景にある様々な問題と真剣に取り組んだことがない人たちが外野席で何かをコメントするというのは失礼にも程があるという思いがします。
病院側がそのような事実があったかなかったかを含めて一切のコメントを避けているのは、この問題の根をしっかりと把握しているからだとニュースを観ていて思いました。一切のコメントをしないという信頼関係が失われてしまったならば、せっかくの赤ちゃんポストもうまく機能することはできないことでしょう。
この事件の父親を非難する人たちは、おそらくこの父親とは全然違った幸福な環境にある人たちなのだろうと思います。あるいは、似たような環境の中にあっても、とにかく頑張って努力して自分の子供を育てている人たちなのでしょう。もちろん、努力するしないにかかわらず、与えられた子供の幸福を守るのは親の義務だというのは言うまでもないことです。その義務を守れないから非難されるというのはいたし方がないといえばそうかもしれません。確かに赤ちゃんポストを利用することは親の義務を放棄していると言われても反論の余地はないことでしょう。
しかし、なすべきことを知っていても、それができないというのが人間の弱さです。その弱さは必ずしも非難できるものばかりとは限りません。罪深い人間社会のしわ寄せを背負わされて生きている弱い立場の人たちもいるという現実もあります。
たとえば、夫婦親子共々、真面目に幸せに暮らしていた家庭があったとします。ある日突然の交通事故で奥さんがなくなり、父子家庭になってしまったとします。悪いことは重なるもので、勤めていた小さな職場が、他の社員の不正事件で倒産に追い込まれ、とうとう職を失うことに。転職はするものの、小さな子供のいる父子家庭はなにかと疎まれて、長くは雇ってもらえず、ついに完全に失業。滞っていいた家賃も払えず家を追い出され、もともと頼れる親戚縁者もなく、やむを得ずホームレスになったとしましょう。自分はともかく、子供までホームレスにさせるのは忍びないと、たまたまテレビで見た赤ちゃんポストのニュースと優しそうな病院の方たちの顔を思い出して、ここなら大丈夫と思って子供を預けた場合だったらどうでしょう。いったいどんな非難を浴びせることができるでしょうか。
もともと病院側では今回の事件について何もコメントを発表していません。それにもかかわらず、この人を最悪な人間を決め付けて、しかも、この問題の根本的な解決のために本気で手を貸そうとしない人たちが、ああでもないこうでもないと議論しているのを見ると、その方が返って恐ろしいことのように感じられます。
赤ちゃんポストの設置も、そしてこの度の事件も、社会に対していろいろな問題を投げかけていると思いました。社会で現実に起っていることに目を留め、その真相を知り、どうすることが一番大切なことなのか、そのことを深く考えさせられる事件であったというのがわたしの事件に対する思いです。
コントローラ
Copyright (C) 2007 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.