タイトル: イースターの日付はなぜ動く? ハンドルネーム Qさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は派ハンドルネームQさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、こんにちは。いつもインターネットで番組を聴いたり、過去のデータを読ませていただいたりしています。
さて、さっそく質問なのですが、イースターの日付はその年によって大きく違います。祝日が年によって曜日が前後するというのならわかるのですが、イースターはどうしてこうも月をまたいでまで変わってしまうのでしょうか。もちろん、イースターの日の定め方は何回も聞いて知っています。そして、その定め方に従って導き出すと、結果大きな日付のずれになってしまうというメカニズムは分かります。
疑問なのは、なぜ、こんな面倒くさいやり方で日を定めたのでしょうか、どこにその必然性があるのでしょうか。クリスマスのように毎年何月何日と決めてしまえば簡単なような気がします。あるいは、成人の日や海の日のように何月の第何日曜日というような決め方でも良かったのではないでしょうか。
回答よろしくお願いします。」
Qさん、メールありがとうございました。Qさんにとってはもう良くご存知のことですが、イースターの日の定め方はちょっと不思議なくらい複雑です。「春分の日のあとに来る最初の満月の次の日曜日」という定め方ですから、春分の日と満月の組合せで早くなったり、ずっと遅くなったくなったりするわけです。ちなみに今年は4月8日がイースターでしたが、来年2008年は3月23日ということで、近年では最も早いイースターになります。そして、2011年には、逆に近年では最も遅い4月24日にイースターを迎えることになります。
では、なんでこんなにややこしい定め方になったのでしょうか。
実は先ほどから復活日をイースターと呼んで来ましたが、イースターという英語にはもともと「復活祭」という意味はありません。むしろ、キリスト教とは全然関係のない春の女神の名に由来しているといわれています。ゲルマン系の言語である英語とドイツ語では、どちらも復活祭はこの「春の女神」と関係のある言葉で呼び習わされて来ています。ラテン語系の言葉を話す国では、もともとはユダヤ教の「過越祭」を表す言葉に由来する言語が用いられています。たとえばフランス語では「パック」、スペイン語では「パスクヮ」と言いますが、どちらもギリシア語の「パスカ」を経由して入ってきたヘブライ語の「ペサク」に由来した言葉です。そして、そのもともとの意味は、イスラエルの人々がモーセに導かれてエジプトを脱出したことを記念する「過越祭」を指す言葉だったのです。
では、なぜ復活祭がユダヤ教の過越の祭りと関係があるのかというというところから、実は復活祭の日付の決め方が複雑になったそもそもの理由があるのです。
新約聖書に拠れば、イエス・キリストが十字架にお掛になったのは丁度ユダヤ人たちの過越の祭りの時でした。大勢の人々が都エルサレムイに来て過越の祭りを祝おうとしていたときです。
それで、2世紀半ば頃までのキリスト教会の伝統には、ユダヤのニサンの月の14日、つまり、過越の祭りのときにキリストの受難と復活を祝う習慣があったのです。ヨーロッパのほとんどの言語で復活祭のことを過越の祭りから由来する言葉で呼ぶのはその名残ということです。
ところが、西方教会ではキリストの復活が日曜日であったことを受けて、ニサンの月の14日以降の日曜日に復活祭を守る伝統が生まれるようになった結果、両者の間で復活日をいつ守るのかという論争が起ったのでした。特に2世紀末頃、ユダヤ教の過越祭にあわせてキリストの復活を祝っていた小アジアの教会を代表するポリュクラテスとローマの司教ヴィクトル一世の間に論争が起り、ローマの教会は小アジアの教会を破門するという事態にまで発展しました。
そして、その後、325年のニカヤ公会議において、現在のような形に落ち着くようになったと言われています。そのときの計算の仕方は「太陽暦の3月21日以降で最も早い太陰暦の14日の次の日曜日」というものでした。そして、それがやがて「最も早い太陰暦の14日の次の日曜日」に代えて、「最も近い満月の次の日曜日」ということになったのです。ちなみに、今年は春分の日以降最初の満月は4月3日でした。
ところでユダヤ教では今年の過越の祭りは4月2日(月)の日没からでした。もし、小アジアで行なわれていたような古いしきたりの復活祭の守り方で行くとするならば、丁度、今日の教会暦の復活祭の前の週に、主の復活が祝われたということになります。
さて、もう少しだけ、復活祭の日取りの決め方について複雑な話をしたいと思います。先ほどふれたニカヤ公会議ですが、そのとき決めた復活祭の日取りはユリウス暦に基づいた日程でした。東方教会では長年、厳密な春分ではなくニカヤ公会議の時に定めた3月21日を基準に考えて計算をして来ました。ところが、西方教会では16世紀の終わりごろからグレゴリウス暦を使うようになってきたのです。それで、グレゴリウス暦の春分の日と、ユリウス暦の3月21日とは合致しませんから、その間に満月が来た年は、西方教会と東方教会で復活祭の日が大きくずれてしまうという結果になってしまいます。それで今年は数年ぶりに東方教会も西方教会も同じ日に復活祭を迎えることになりました。つまり、西方教会が使っているグレゴリウス暦の4月8日も、東方教会が暦の計算に使っているユリウス暦の3月26日も、満月後の最初の日曜日だったのです。
ということで、復活祭の日付が大きく移動する一番の理由はユダヤ教の暦にあわせてニサンの月の14日を計算しなければならなかったということです。つまり、キリストの受難と復活はユダヤ教の過越の祭りと切り離せない関係があるということです。
さらに、キリスト教会にとっては毎週日曜日がキリストの復活にちなんで礼拝の日となるようになったのですが、復活を記念する一年ごとの記念の日も、日曜日に守りたいという願いから、過越の祭りそのものではなく、それが終わってから最初にやって来る日曜日を、キリストの復活を記念する日と定めたのでした。
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