BOX190 2007年6月20日(水)放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 牧師と意見が合わないのですが ハンドルネーム・コウさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・コウさんからのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、他の人には中々聞くことができないので、ここで質問させていただきます。
 実は今通っている教会の牧師と何度か意見が合わずぶつかっています。礼拝に出ていても満たされず、説教の言葉も頭を素通りです。こんな状態で今の教会に通い続けて意味があるのだろうかと思います。
 何しろ他の教派の先生が書かれた本を読んだり、こうして他の教派の先生のラジオ番組を聴いていることを話題にするだけでもご機嫌が斜めなのです。
 こうした場合、自分が出ていくしかないのでしょうか。それとも、とにかく礼拝だけは守り続けるべきなのでしょうか。
 アドバイス、よろしくお願いします。」

 コウさん、メールありがとうございました。まずはじめに、コウさんが教会生活でとっても困っていらっしゃるという様子は短いメールながらも大変よく分かりました。けれども短いメールですので、本当は何が問題なのかということがわからないまま、お答えしていくというのはとても難しいようにも感じました。
 そのために、これからこれからお話することはコウさんの期待していた答えとは違うものであるかもしれません。また、全然的はずれなことを言ってしまうかもしれません。問題が問題なだけに、できるだけ慎重に考えてみたいと思います。

 まず、今通っていらっしゃる教会の牧師と意見が合わないということですが、具体的にはどういうことなのでしょうか。いただいたメールの後半部分から推測すると、コウさんが他の教派の先生の書かれた本を読んだり、ラジオ番組を聴いているということを、コウさんの教会の牧師が問題にしているということでしょうか。その点で意見が合わないということでしょうか。
 もし、そのことが問題とされて、自分と牧師との間で意見が合わないとしても、それが問題の核心なのでしょうか。
 当然、教派には教派を形作ってきた伝統と信仰というものがあります。ですから、それをどうでもいいものと思う牧師がいないことはコウさんもお分かりになると思います。牧師はすべての教派に共通した基本的なキリスト教の信仰をもって群れのを養うのは当然のことですが、しかし、同時に自分たちの教派が形作ってきた教派独特の教えや伝統をもって信徒を養うことも当然だと思います。それは長年にわたって築き上げられてきたものですから、それを個人の意見一つで簡単に覆すということはできないでしょう。
 しかし、そうは言っても、信徒がどんな書物を読んだり、番組を聴いたりしているのか、そのすべてについて指導するということは一般的にはしないものだと思います。ただ、問題になるとすれば、ある信徒が自分たちの教派の教えとは著しく異なる主張に影響されて、その教えを教会内に持ち込もうとした場合だと思います。また、それによって教会の中に明らかに混乱が起りそうな気配が感じられるような場合です。そういうことでもなければ、どんな本、どんな番組を聴いているのか、それ自体が問題となることはほとんどないように思います。あるいは、信仰をもって間もない信徒が、いろいろな教派の教えによって信仰がぐらつきそうな場合にも、牧師はその信徒を適切に配慮することもあるでしょう。
 逆にいえば、コウさんはそうした本や番組に影響された考えをご自身の教会生活の中にそうとう持ち込んでしまわれたのではないかともメールを読んで思いました。

 ところで、教会の中で意見が分かれるということは、避けることができないこととして受け止める方が、わたしとしてはむしろ健全なのではないかと思っています。現にこれだけの教派が存在しているという事実がそのことを物語っていると思います。
 しかし、ささいな意見の違いでどんどん教派が分かれていくというのも決して賢いやり方であるとは思えません。まして、それが原因で教会の内部が秩序を失って混乱してしまうことは健全なやり方であるとは思えません。
 パウロはコリントの教会に宛てた手紙の中で、異言を巡る問題で混乱していたコリントの教会員にこう述べています。

 「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」(1コリント14:33)

 これは教会の中で争い事が起ったときに、まず念頭においておくべき大切な事柄であると思います。秩序正しいやり方で事柄が進められているかどうか、冷静になって考える必要があると思います。
 コウさんの場合、いただいたメールだけからは何が本当に問題なのかよくわかりません。しかし、なんとなく牧師に対して不満をもっているということは感じられました。牧師に限らず、どんな教会員にたいしても不満を抱くことは建徳的とは思われません。しかし、まったく不満を抱くべきではないという一言で物事が解決するとも思われません。現に教会員が牧師に対して不満を抱くということは完全には避けることができないからです。
 問題は、そのようなことがおこったら、どのように秩序正しく平和のうちに解決の道を見出すのか、ということだと思います。
 コウさんの詳しい事情は分かりませんが、「説教の言葉も頭を素通りです」というほどなのですから、牧師に対してかなり心を閉ざしてしまっているのだと思いました。そして、またこのような内容を教会の中で話題にできないところまで来てしまっているのだとも思いました。

 わたしはここでどちらが良い悪いを言うことは当然できません。両方の言い分を公平に聞いていないというのもありますが、何よりもその教会の中で健全に解決されることを望んでいるからです。
 わたしが、今ここでコウさんにアドバイスできることは、も一度謙虚な気持ちになって、何が問題で何が問題ではないのか、整理して欲しいと思いました。問題点が明らかになれば冷静になって牧師と話し合うこともできるでしょう。あるいはまたぶつかりそうであれば、教会の役員の方に間に入ってもらうことも必要でしょう。しかし、その場合にも建徳的な姿勢をいつも保ち、「神は無秩序の神ではなく、平和の神だ」ということを念頭にいつも頭の中においてください。

 最後に、一つだけ、いただいたメールだけからは何ともいえないのですが、意見が合わないその原因が信仰の根本にかかわる問題であるならば、教派を出るということも考えられるでしょう。一時の感情のもつれではなく、信仰の確信が意見の違いであるならば、むしろ信仰の確信を同じくする教派に移った方が健全な信仰生活を送れるのではないかと思います。しかし、それはよほどの場合であるように思います。

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