ご機嫌いかがですか。高島平キリスト教会の豊川修司です。
キリスト教では、今年は12月3日からクリスマスまでを待降節と呼んでいます。繁華街はクリスマス・イルミネーションで飾られ、人々の心をそぞろにしています。でも、イエス・キリストがこの世にお生まれになったことを、一番、心待ちに喜んでいる人は、お生まれになる方を、自分の罪のためだと、受け入れる人ではないでしょうか。
イザヤ書53章3節の中に次の言葉があります。
「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちは癒された」。彼とは、誰でしょうか。まさしくクリスマスにお生まれになったイエス・キリストをさしています。しかも、この言葉は、キリストが生まれる800年前に預言された言葉です。
神様は、ご自身の愛する独り子、イエス・キリストを十字架にかけることによって、人間の罪の怒りを、全て彼に負わせたのです。それは、わたしたちの罪を赦すためです。これほどまで、わたしたちのために、辛い、苦しい重荷を背負って生まれてくる赤ちゃんは、この世にいないですね。是非、この方を自分の救いのためだと確信してください。