ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
聖書には「放蕩息子のたとえ」と呼ばれるイエス様の語られた有名なお話があります。ある日、一人の息子が父親から自分の分の相続財産を受け取り、遠くの町に行き、そこで有り金全部を使い果たしてしまいました。その上でどうすることもできなくなった息子は父親の家に戻って来ます。ところが父親はこの息子を叱るのではなく、大喜びして家に迎え入れたと言うのです。
この放蕩息子には真面目な兄がいました。彼は好き放題なことをして文無しになった弟が帰って来たことは、もちろんのこと、それを手放しで喜ぶ父親に怒りを爆発させます。「どうしてあんな弟のために喜ぶのか。これではあなたの元で真面目にやってきた、私だけが馬鹿を見ているようではありませんか」と父親に激しく抗議したのです。
この兄の怒りには大きな誤解があります。その誤解とは彼が今まで何不自由なく過ごすことができたのは、父の財産とその変わらぬ愛があったからです。もし父親がいなくなってしまったら兄もまた放蕩息子と同じ運命を辿るほかなかったはずです。
聖書は私たち人間が神様を離れて、一人では生きることができないことを教えています。そしてそんな私たちを愛してくださる神様は、イエス様を信じる者がすべて神様と共に生きることができるようにしてくださるのです。
聖書の言葉
「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」ルカによる福音書15章31節