ご機嫌いかがですか。綱島教会の川杉安美です。
イエス様は、ご自分のことをいろいろなものにたとえていますが、今日は、「わたしが命のパンである。」ということをみてみます。
日本人にとってはご飯が主食でしょうが、当時にしてみればパンが主食ということだったのでしょう。イエス様は生きていくうえで、なくてならない主食だというわけです。主食ですから、どんなに貧しい人にも必要ですし、どんなに豊かな人でも、やはり必要です。とにかく生きていくうえでなくてならないものだというわけです。
続けてイエス様はおっしゃいます。「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」。イエス様という主食をいただくなら、満たされるということでしょう。
わたしたちは、いろいろと満足することを求めて生きています。よりよい生活、より豊かな生活、より健康に、様々な点で満足したい、満たされたい、そう願いながら生きているのかもしれません。しかし、なかなかそれが満たされない、あるいは満たされても何かまたさらに上のものをもっと求めたくなる、そんな中、イエス様は、わたしを信じるならば、本当の満足が与えられると言っているのです。イエス様を信じることは、生きていくうえでなくてならない主食をいただくことであり、本当の意味で満たされる、満足する、そういうことになるわけです。
古代のアウグスティヌスという人は、人間というのは結局イエス様を信じるようになるまでは、どこか満たされないものだと悟りました。イエス様を信じて満たされたパウロは言いました。「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。」。