ご機嫌いかがですか。綱島教会の川杉安美です。
聖書を読んでみますと、イエス様は、ご自分のことをいろいろなものにたとえています。「わたしは良い羊飼いである。」とか、「わたしは命のパンである。」とか。そんな中、今日は「世の光」ということを見てみます。イエス様はあるとき言われました。「わたしは世の光である。」と。「光」と言うと、どうしても思い出してしまうことがあります。
もう、10年以上前になってしまいますが、1995年1月に阪神・淡路大震災が起こりました。私は当時、和歌山に住んでいましたが、仲間を訪ねて、リュックサックを背負って、ぐちゃぐちゃになってしまった町を歩き回りました。何日かして、少しずつ色々なものが復旧し始めました。ある夜、ようやく電気が回復し、避難所の近くの街頭が久しぶりに灯るというときのことです。そこにいた人たちがパッと灯った街灯の明かりをみて、皆笑顔になり拍手が湧き起こりました。心まで明るくなった感じで、その灯りは、復興への希望をもたらしたようです。
イエス様は、御自身のことを「世の光」だとおっしゃいました。この世には、様々な暗闇があります。心の暗闇、生活の暗闇、いえ、この世自体が何か本当の光を見出せない暗闇なのかもしれません。それで、人は色々なところに光、希望を求めて、探し歩いているのかもしれません。
しかし、イエス様はおっしゃいます。「わたしは世の光である。」と。この、イエス様を信じていくならば、様々な暗闇の中に、光が差し込んでくるに違いありません。イエス様は続けておっしゃいました。「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」