いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
誰に頼まれたのでもないのに、人の上に立ち、あれこれと指図したり評価して、ことの善し悪しをあげつらう人がいます。口先ばかりが達者な人です。新約聖書ヤコブの手紙第3章では、こういう人を、皮肉を込めて教師と呼び、このような教師になってはいけませんと教えています。
では、まことの教師とはどのような人たちでしょうか。ヤコブ書3:13にこう記されています。「あなたがたの中で、知恵があり分別があるのは誰か。そのひとは、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい」。
教師にふさわしい人は、第一に、知恵と分別があること、第二に、知恵にふさわしい柔和な行いを示すことのできる人、第三に、口先ではなく立派な行いによって示す人です。
結論をいえば、口先ではなく、立派な行いによって知恵を教えることのできる人がまことの教師である、こうヤコブは言いたいのです。
では、知恵と行いが一致しているような人がいるのでしょうか。
聖書が教える救い主、イエス・キリストは神の知恵が人となったお方であり、神の救いを教え、行い、成就なさいました。すなわち、十字架にかかることで罪人を救う、という神の知恵とその実行です。
正しい人が救われるのは当たり前のことです。しかし、正しい人がいるのでしょうか。それゆえ、神は、罪人が救われることこそ、すべての人が救われる道であるとお考えになりました。ここに神の知恵があります。この知恵をキリストは教えと行いによって示しました。どうか、聖書を読み、まことの教師であるキリストに従ってください。