いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村です。
百科事典の「神」という項目を引いてみました。いろいろなことが書いてありましたが、その中の一つ、神はいないと信じている人を無神論者という、とありました。ははあ、なるほど、とよく分かりました。この事典によると、神はいないというのも一種の信仰と言うことになります。
神様はいるのかいないのか、残念ながらいるという証明はできません。いや、神様に、わたしのとなりに座っていただいて、インタビューする、という意味での証明ですけれども。でもそれは神様がいないと言うことの証明にもなりません。これから申し上げる証明ならできます。神様がいらっしゃる証拠がいっぱいあるのです。たとえば皆さんは今、わたしのお話を聞いていて下さる。ラジオでしょうか。インターネットでしょうか。こうした機械やパソコン、また建物は、いずれにせよ造った人がいるはずです。知らない人、顔を見たこともない。しかし材料を置いておけば自然にできたということは決してない。人の手によって造られた、それは当然のことですね。
こんどは世界に目を向けて下さい。宇宙に地球、空や山々に海、木々の緑、動物たち、人間。それらの素晴らしさ、美しさ、精巧さ、統一性。それはどうしてできたのか。
これだけのもの(世界)があるのだから、それを造った方がいると考えるのが当然ではないでしょうか。世界や宇宙を造るのですからそれよりも大きいお方、人知の及ぶところではない、そのお方を神様と呼ぶのです。それは当然ただおひとり、ということになります。聖書をお読みします。「地の果てのすべての人々よ/わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない」。イザヤ書45章22節です。