お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
新約聖書ヤコブの手紙にこんなたとえが出てきます。
「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。」
もちろん、これは例として引き合いに出した話ですから、当時の教会の中で現実にそんなことが起ったのではないでしょう。こんな話を持ち出したのは、これぐらい極端な例話なら誰でも差別の間違いに気がつくからです。
しかし、小さな差別というのは気がつきにくいものです。しかし、どんなに小さな差別でも、事柄の本質は例話の中身と何も変わらないのです。それは結局のところ、神の前に平等である人間を、一方は価値あるものとして受入れ、他方を価値のないものとして蔑むからです。
イエス・キリストを信じるということは、イエス・キリストが貴い血潮を流して贖いとった一人一人を、等しい価値のある人間として互いに受入れ、尊重することなのです。
きょうのみ言葉・・・「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。」
ヤコブの手紙2章1節