いかがおすごしでしょうか?塩田明子です。
出エジプトの物語の中に忘れられない一コマがあります。イスラエルの人々をエジプトから出して下さいというモーセの願いを、王がなかなか承諾しないので、神様は川の水を血に変えたり、ブヨや蛙の大群、雹や疫病など、あの手この手で王を責め立てます。王も時には降参するのですが、災いが止むとすぐまた心が変わってしまいます。聖書は、何度も「ファラオは心をかたくなにし、イスラエルの人々を去らせなかった」と書いています。私は日曜学校で、この話をした牧師の難しい顔と、腕の前で拳を固く握りしめるような所作を今でも覚えています。
神様は何でもできるはずなのに、何で早くエジプトからイスラエルの人たちを出してあげないんだろう、何故ファラオの心を変えてやらないんだろう。大きなクエスチョンマークが胸の中に刻まれたのだと思うのです。しかし、この「何故」は、いつのまにか「何でもおできになる神様」「全てのことは神様のご計画の中にある」という信仰に成長したらしいのです。しかもそれは、私を無気力に落とす信仰ではありませんでした。
母は、「心弱く運命に従うものならず 摂理というを信じて生くる」という短歌を残しています。戦後の困難な時代を生きぬいた母と同じように、私もこの全能なる神様への畏れと、信頼を持って人生を歩み続けたいと思っています。