いかがおすごしでしょうか? 今日もまたしばらく神様に思いを馳せたいと思います。塩田明子です。
北村透谷という作家をご存じでしょうか。自由民権運動の中でキリスト教に出会い、一時は宣教師の通訳などの手伝いもしていた文学者です。その透谷のエッセイの中に「各人心宮内の秘宮」(心の中にある秘密の宮)という、人の心を論じたものがあります。聖書に「あなたがたは自分が神の神殿であり」(コリント信徒への手紙一 3章16-17節)。それを念頭に置いて書かれたものでしょう。
その文章で透谷は、人の心には、他人から分かる部分もあるが、その奥にある秘宮の扉はなかなか開くことができない。しかし、もしその心の奥の秘宮が開かれ、「火の洗礼」を受けるという事件が起これば、神様の御心に生きることができるようになると、いっています。かなり文学的な表現ですが、人が神様を知るという180度の大転換、を良く語っていると思います。
私たちは、他人に自分のしたことを言いつくろうことができるし、時には自分に対してさえ、正当ないいわけをする事ができます。でも、ひとたび神様の前に出て、神様と向き合うとき、私たちの心の奥の扉は、思いもかけず開かれるのです。私たちの信仰の先祖と呼ばれるアブラハムをはじめ、預言者エレミヤも、ヨブも、神様に精魂を傾けて問い、訴えています。私たちも、そのように真摯に神様と向かいあって生きていきたいと思います。