いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
イエス・キリストが与える救いとは、平和・平安であると聖書は教えています。けれども、このキリストの平和は、戦争のない平和な状態のことではありません。戦争ほど人を悲惨に陥れるものはなく、国際平和のために努力することの必要は、いうまでもありません。しかし、そのような戦争のない平和とキリストにある平和とは意味が少し違います。
たしかに、戦争のない平和な状態は願わしいことです。では、今、平和な日本に住むわたしたち一人びとりに真の平安があると言えるでしょうか。都会と田舎の格差が広がり、富の東京への一極集中ということが言われます。しかし、都会の電車で見る乗客の顔は、疲れていて精気がありません。富ではなく、心に平安がないのではありませんか。いくら平和で生活に不自由が無くても、それで人が生き生きとするわけではありません。
逆に、信仰の力は、戦乱、災害、飢饉、迫害などの苦難や不安の中にある信者に対しても慰めと忍耐を与えます。それは、キリストにある平和の福音には希望があるからです。
どのような状況にあろうと、希望があるなら力が湧いてきます。今の日本は、平和であっても希望が見えないのではないでしょうか。
ローマの信徒への手紙15章13節には次のように記されています。
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」
どうか教会に行き、キリストにある平和を得てください。