いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。
今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。マタイによる福音書5章6節と8節です。
「義に飢え渇く人々は、幸いである。
その人たちは満たされる。
心の清い人々は、幸いである。
その人たちは神を見る。」
主イエスは、「義に飢え渇く人」「心の清い人」は幸いであるとおっしゃいました。ところで、「義に飢え渇く」「心の清い人」とは、どういう人のことなのでしょうか。いわゆる道徳的に清く正しい人のことではありません。
義に飢え渇くのは、なぜでしょう。自分の力ではどうしてもつかむことができないけれども、どうしても必要だからです。そのような義とは、道徳的な清さ正しさのことではありません。一点の曇りもない正しさと恵み深い義がなければ、いくらがんばっても、私たちも私たちの人生も決して満たされることはありません。それを知って、あえぎ求める。これが、義に飢え渇くということです。
そして、心が清いということも、道徳的に清く正しいというより、心の純粋さのことです。どうしても満たされたくて、他のものには見向きもせずにひたすら神の義を求める一途な心のことです。主イエスはこの一途な心がお好きです。たとえ清く正しくなくても、一途であるなら、主は必ず聖なる恵み深い神の義で私たちの心を満たしてくださいます。