ごきげんいかがでしょうか。江古田教会の風間義信です。
三度の食事よりも読書が好き、手紙を一通書くのは朝飯前、これは私のことではありませんが、食事を引き合いにして生活を語るとこは良くあります。また、テレビドラマでも食事のシーンは結構多いのではないでしょうか。それだけ、食事は私たちにとっては身近なもの、いや、欠かすことが出来ないものです。
また、食事は一人でじっくりと味わうことも良いことですが、誰かと共にいただくと喜びが増すものです。聖書の一番最後にあるヨハネの黙示録の中で、イエス・キリストはこのようにおっしゃっています。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(3:20)
このように、イエス・キリストは私たち一人一人の心の扉を叩いて、中に入りたいと願っています。そして食事と言われるように、親しい関係を築きたいと言うのです。それだけ、ご自身のことを私たちに知って欲しいと願っておられるからです。
その心を叩く音こそ、聖書の言葉です。私たちが聖書の言葉に耳を傾け、それにお応えしていく、これこそ、イエス様が願っておられる食事をすることであり、その時、私たちは、私たちを生かす本当に必要なものを得ることができるのです。