いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
ヨハネ福音書18章33節以下を読むと、イエスを十字架に付けるための裁判の中で、イエスとピラトが真理について論争しています。
イエスは「わたしは真理についてあかしするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と宣言しました。するとピラトは「真理とは何か」と言って裁判の席から立ってしまいました。
イエスにとって,真理を証しすることこそ生涯の使命でしたが、ピラトにとって、真理は何の意味もないものでした。イエスは、真理によって人をご自身のもとに呼び集めることにより、神の国を実現しました。
真理とは何か。これは重大です。
イエスは、別の時に「わたしは道であり、真理であり、命である」と語っていました。真理とは命に導くもの命そのものであり、何か高尚な教えや学問のことではありません。
自分が何者であって、何のために生きているのか、生きるとはどういうことか。生きることと死ぬことについての的をえた答えこそが真理です。
イエス・キリストは十字架において死に、復活することによって永遠の命をもたらしました。この出来事こそ、世に与えられた神の救い、神の真理です。
人は十字架においてご自身をあらわされた神の前に立つとき、自分が罪人であること、自分には滅ぶべき命しかないこと、救い主キリストの中に永遠の命があることを知ることができます。これが神の救い、神の真理です。