お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
イエス・キリストはこんなことをおっしゃいました。
「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」
このイエスの言葉は発想の転換のように思えます。
人は赦しを請うために一生懸命に何かをしようとします。相手の気に入ることをたくさんすれば、好意を得ることができる。好意を得ることができれば、過去のことも水に流してくれるかもしれない。そう思ってその人のために一生懸命尽くします。
これが宗教的なことになるともっと露骨になります。心のうちにある罪悪感を拭い去るために、人は様々な修行に励みます。神の寵愛を獲得するために、必死に善い行いに励もうとします。
しかし、イエス・キリストによれば、それはまったく逆だというのです。神によって受け容れられればこそ、節制も善き業も結果としてあふれ出てくるものなのです。神の赦しも神の愛もすべてに先立っています。その神の先立つ愛に気がつき、触れることの出来る人は幸いです。聖書の神はイエス・キリストによって既に罪を赦し受け容れてくださっているのです。その神の愛を自覚できる人が、ほんとうに神と人とを愛することができるのです。
きょうのみ言葉
「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」ルカによる福音書7章47節