いかがお過ごしでいらっしゃいますか。ラジオ牧師の山下正雄です。
ごくごく素朴な言い方ですが、ものを考えるのは頭の働き、慈しんだり憐れんだりするのは心の働きと言われています。誰かが悲しい出来事に遭遇するのを見て痛むのは心です。また、難しい問題に出くわして痛めるのは頭です。それは、科学的な表現ではないかもしれませんが、誰もがピンと来る表現です。
さて、知的活動をつかさどるのが頭脳の働きとすれば、知恵というのはどこに蓄えられるのでしょうか。当然、知恵は頭に蓄えられると思うのが素朴な考えでしょう。知恵があって賢い人は、同時に頭のいい人だと思われています。
ところが、面白いことに、旧約聖書の箴言という書物には、知恵は頭ではなく、心に蓄えられるものとして描かれています。
「わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。 わたしの言うことに耳を向けよ。見失うことなく、心に納めて守れ」
もっとも、「教訓を心に留める」という言い方は日本語でもしなくはありません。大切な教えや知恵の言葉は、やはり頭ではなく心にこそ納めるべきものなのでしょう。心を伴わない知恵、頭の中にだけ収められた知恵ではいけません。頭の良し悪しも大切ですが、心の良し悪しも大切にしたいものです。
きょうのみ言葉・・・「何を守るよりも、自分の心を守れ。 そこに命の源がある」旧約聖書箴言4章23節