おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第143編2節の言葉です。
「あなたの僕を裁きにかけないでください。 御前に正しいと認められる者は 命あるものの中にはいません。」
きょうのこの詩編の作者が置かれているのは、敵から命を狙われるような危機的な状況です。そのような状況の中で祈る祈りは必死としか言いようがありません。
もし、そんな祈りの中にあるときに、誰かから「あなたの祈りが聞かれる根拠はどこにあるのですか」と尋ねられたとすれば、誰しもたじろいでしまうことでしょう。自分の罪深さを知っていればいるほど、自分も敵も神の御前には同じ罪人であることを認めざるを得ません。敵の祈りに勝って自分の祈りが聞かれる保証など自分のうちにはないことは明らかです。ですから、この詩編の作者は必死で願います。
しかし、自分の祈りが聞かれる確信をこの詩編の作者がまったく持っていなかったわけではありません。たとえ、自分が正しいと認められるものを何一つ持っていないとしても、聖書の神が自分を神のものとしてくださっている恵みを確信していたのです。
神がわたしたちを愛し、ご自分のものとしてくださったというこの恵みが、祈りに確信を与えるのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。