おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第138編6節の言葉です。
「主は高くいましても 低くされている者を見ておられます。 遠くにいましても 傲慢な者を知っておられます。」
高いビルの屋上から地上を見渡すと、家も車も豆粒のように見えます。人間に至ってはありんこよりも小さくて、一人一人を把握することすら難しくなってきます。一人一人に与えられた特別な存在価値が、まるで注目するに値しないようにさえ感じられてきてしまいます。
もし虐げられている人たちや苦難の中にある人たちが、神の目にこのように豆粒やありんこのように小さな者にしか映っていないとしたら、それはとても悲しいことです。もし、そのように神の目に映っているのだとしたら、人間にとっても神は遠い豆粒のような存在でしかなくなってしまうことでしょう。
しかし、この詩編の作者は言います。
「主は高くいましても 低くされている者を見ておられます」
神はどんなに高いところから人間世界を見渡しているとしても、人を豆粒やありんこのようには見てはいらっしゃらないのです。神の愛と神の関心は低くされている者にも届いているのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。