おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第130編3節4節の言葉です。
「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬うのです。」
旧約聖書の人々が持っている感覚の中で最も優れているものは罪に対する感覚です。罪に対して抱いている彼らの意識の高さには特筆すべきものがあります。彼らにとって、正しいことと正しくないことは、決して時と場合によって変わるような相対的なものではありません。神が罪と定めたことは、人間の都合で曲げることはできないのです。であればこそ、正しい生き方と罪深い生き方は厳格に区別されなければならないのです。
しかし、同時に誰一人として神の前に正しく生きることができないということを、旧約聖書の民は誰よりも真摯に受け止めています。
「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら 主よ、誰が耐ええましょう」…この心の叫びは、罪に対する感覚と人間の本質的な弱さに対する深い洞察からでてきたものです。このような罪と人間に対する理解があるからこそ、神から赦される恵みの大きさを彼らは人一倍感じ取ることができたのです。
自分の罪を自覚し、それを深く悔いる者に対して、神は赦しの神としてご自分を示してくださるのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。