おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第128編1節の言葉です。
「いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ」
あなたはいったい何によって自分自身を律するのでしょうか。自分の理性と感性こそが自分を律する最高の基準であると誰もがそう思っているかもしれません。しかし、聖書の世界ではまるで正反対なのです。人間の理性と感性ほど当てにならないものはないと聖書は教えています。なぜなら、罪の深い影響のもとで、人間は自由に正しいことを選び取る能力に欠けているからです。どんなに自分の知恵の正しさを人間が豪語しても、人間自身が人間の最高の基準とはなりえないのです。
だからこそ、たびたび詩編の中には聖書の神を畏れて歩む幸いが語られているのです。聖書の言葉に耳を傾け、神の掟に従って歩む幸福です。神への畏れのないところに、人間の当てにならない理性と感性が幅を利かすのです。そして、その不利益をこうむるのも人間自身なのです。
この詩編の作者が実際に描いている具体的な幸いとは、自分で労して得たものがすべて自分の食べ物となる幸福であったり、妻がいて、食卓を囲む子らがいる些細な幸福かもしれません。しかし、それを幸せと感じることができるのも主を畏れるところから始まるのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。