おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第123編2節の言葉です。
「御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。」
僕やはしためが主人の手の動きに目を注いでいる様子を想像してみてください。それは主人の命令にいつでも応えようとする眼差しでしょうか。あるいは主人の怒りが自分に降りかかるのを恐れる目でしょうか。それとも気前よく振る舞う主人に期待してじっと主人の手を見守る目でしょうか。主人の手の動きに敏感に反応する僕たちの姿が目に浮かびます。
この詩編の作者はちょうど主人の手に注目する僕のように、聖書の神に目を注いでいます。それは恐れの目というよりは期待の眼差しです。神が憐れみを施してくださるのを待ち望む目です。
この詩編の作者が置かれている状況にはとても辛いものがあります。
「平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています」と詩編の作者は告白しています。そのような苦しみの中で、神が憐みを注いでくださることを一心に待ち望んでいるのです。あなたも苦しみに遭う時、ぜひ、神の憐みを期待して聖書の神に目を注いでください。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。