キリストへの時間 2006年6月4日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山脇栄子(元清和学園教頭)

山脇栄子(元清和学園教頭)

メッセージ: 「人の過ちを赦すなら・・・」

 おはようございます。山脇栄子です。

 今朝はマタイによる福音書6章14節「もし人の過ちを赦すならあなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」という箇所に目を向けてみたいと思います。

 聖書の別の箇所に「人を裁くな、あなたがたも裁かれないようになるために」という所があります。私達は常に自分のやっていることは正しい、間違ったことを行ったり言ったりしてはいけないと思いがちですが、多くの間違いや誤った判断をし、後でしまったと思うことが多くありますが、その時にはなかなか自分のやっていることを、「間違いでした」、「すみませんでした」と謝ることができず、自分の非を認めることができないまま、あげくの果てにこんなになる前にこうして欲しかったといいわけをしたりすることが多いものです。

小さい子供に対して、何かその子供が失敗をしたりいたづらした時には、親ごさんが「ごめんなさいは?」、「すみませんでしたは?」、「自分が悪いことをしたのだからきちんと謝りなさい!」とそうとう厳しく子供を叱っている姿を見かけます。子供は目に涙を一杯ためて、最初のうちは「どうして謝らなきゃいけないの・・・」と口をとんがらせて泣いていますが、そのうちに泣きじゃくりながら、「ごめんなさい」と謝っている姿もよく見かけます。それが大人であったらどうでしょうか。すぐに、あっそれは悪かったと言える人と、わるいことは認めながらも謝ることのできない頑なな心があります。

 一番身近な家庭の中ではいかがでしょうか。お父さん、お母さん、子供と親ごさんの間で、「ごめんなさい」、「ありがとう」などの言葉がすぐに出てくるのでしょうか。職場でよく経験したことですが、今日はMさん普段とは何となく違うね、落ち着きのない何か集中力に欠ける、楽しいことでも本心から笑っていない。・・・2、3日過ぎても変化がない、「どうしたの?」「イヤ何でも」といいながら、「実は家庭の中でつまらないことから喧嘩をしてしまって、後に引けなくなりゴメンという言葉を口にすることができず、悶々とした日々を送っています」ということでした。どちらも「悪かったなあ」と思いながら相手のことを許すことなく、面白くない関係が続いているわけですね。先に口を切って、「ただいま」とか、「今日の弁当は美味しかった」とか話のきっかけをつくることですね。相手も悪かったとおもっているのですから早く和解すれば気持ちのいいものです。
 職場のMさんも思いきって、先に口をききなんとなく会話が成立した時のホッとした気持ちがそのまま顔にあらわれて、安らかな顔つきになっていました。そんな経験は誰でも持っていることですね。聖書のマタイによる福音書18章の21〜の所には、罪を何回まで許しますか、7回ですか、という問いに対して、7回どころか7の70倍にまで赦しなさい、というイエス様の言葉があります。「お母さんごめんなさい、許して」と小さい子供の時から、私達は70回どころではなく、数えきれないほど皆に赦してもらっているのにもかかわらず、人のことはなかなか赦すことのできない愚かな者です。神様はそんな私達に手を差しのべて下さり、これでもか、これでもかと悔い改めの機会を与えてくれています。

 私達は自分自身の過ちを認め、天の父なる神様に、「どうか私の罪を赦して下さい」と祈ることによって、神様は私達を赦し神の国へと導いて下さるのです。世の多くの事がらが人にわからなければ不正をし、不正が当たり前になり、そこに真実を求めていく姿がなくなっている今でこそ、私達は隠れてことを見ておられる神様の前にしっかり立ち、はっきりと自分の罪を認め赦しを乞うことの大切さを知りたいものです。

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