キリストへの時間 2006年4月9日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(高知教会牧師)

久保浩文(高知教会牧師)

メッセージ: 「神に委ねて生きる」

 私達は、人生の途上で様々なことに思い煩い、悩みます。私達は、進学、就職、結婚など人生についていろいろな生活設計をしようとします。パスカルの「人間は一本の葦に過ぎない、自然の中でもいちばん弱いものだ。だが、それは考える葦である」との言葉どおり、私達人間は生きている限り、多くのことについて心悩まされ、色々なことに思い煩っています。その中でも特に私達は、自分自身の健康と生命のことについては、一番神経を尖らせているのでないでしょうか。

 現代は、以前と比べて医学の進歩が日進月歩で、かつては不治の病と言われてきた難病が治るようになりました。また、予防医学の進歩で、健康についての情報が至るところに溢れています。その結果、「健康病」という現象が生じています。生命を延ばす可能性が増えれば増える程、人間はかえって健康について思い煩い、健康問題から解放されないばかりか、一層それに縛り付けられるという、皮肉な現象が起きているのです。

 確かに、私達は、日頃の健康管理を怠ったり、身体に害を及ぼすような不摂生は慎まなければなりません。

 しかし、私達は、「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようか」と思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができるでしょうか。私達は自分自身の命とはいえ、自分自身の意思で一分一秒といえども自由に延ばしたり、短くしたりすることはできません。さらに私達は、どんなに思い悩んだところで、自分自身の人生、進路を完全に思い通りに、自由にコントロールすることはできないのです。

 イエス・キリストは、自然界のものに目を向けるように勧めます。空の鳥や木々や野原の草花など。空の鳥は人間のように土地を耕したり、作物の種をまいたり、刈り入れたりはしません。ですが、神は空の鳥を御心のままに養っておられます。さらに、今日は野にあって、一日咲いただけで枯れてしまい、明日は炉に投げ込まれるアネモネのような草花でさえも、神は心にとめてくださいます。かつて、イスラエルの国で栄華を極めたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。ましてや、私達人間はどうでしょうか。神は人間を、空の鳥や野の花に、はるかにまさる価値のある者として創られています。

 私達は、神によって母親の胎内に生命を与えられただけでなく、骨格や内臓まで形造られ、一つの人格をもった人間として、この地上に生を受けたのです。私も、今は3人の娘の父ですが、かつて初めての子のエコー写真に、小さいながらも、心臓が、リズム感よく鼓動し、個体が動いているのを見せられたとき、改めて、神様の創造の業の神秘性に驚かされました。さらに、時が来て、出産に立ち会って、この地上に無事に生まれてきたのを目にした時に、この子は神様から私達夫婦に養育を委ねてくださった子ども、しかし、育て給うのは神である、との思いが、即座に脳裏をよぎったのです。この子に、この地上に生命を与えて下さっている限り、この子の一生に必要な全ての物は神様が備えて下さるであろうと。「どうか、神様、この子がいつか、自らの口で、自分の創り主であられる神を信じ、告白し、いつも神様のことを心に覚えていられる子どもにして下さることを・・・。」これが、父親である私の心からの祈りなのです。



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