おはようございます。安芸にあります芸陽教会の宮武輝彦です。今朝も、あなたとご一緒に聖書の言葉に耳を傾けていきましょう。
さて、旧約聖書の詩編119編9節には「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。」と問い掛けられ、それに答えて、「あなたのみ言葉どおりに道を保つことです。」と教えられています。若者だけでなく、わたしたちはだれもがその道を誤りやすく、また将来についていたずらに不安を抱きやすいものです。人生の道を正して歩むために、大切なことは、神さまのみ言葉のとおりに生きることです。
聖書には、人生の道について、律法や掟というかたちで示されています。イエス・キリストはひとつの掟をその愛する者たちに教えてくださいました。それは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)という掟です。ここには、神のみ言葉のとおりに生きるとは、互いに愛し合うこと、と教えられています。
しかし、今日、どれほど、人間相互の愛がそこなわれ、多くの人々がそのために傷つき、悲しい思いを抱いていることでしょうか。互いに愛し合うために、必要なことは、キリストがわたしたちを愛されていることを知る、ということです。それは、キリストの愛こそ、お互いに傷つけ合うことの多い人々のこころをいやし、立ち上がらせるものであるからです。
韓国のキリスト教会の賛美歌に、「きみは愛されるために生まれた」という賛美歌があります。その歌詞はこういうものです。「きみは愛されるために生まれた きみの生涯は愛で満ちている きみの生涯は愛で満ちている 永遠の神の愛は われらの出会いの中で実を結ぶ きみの存在が 私にはどれほど大きな喜びでしょう きみは愛されるために生まれた 今もその愛受けている きみは愛されるために生まれた 今もその愛受けている」
「きみは愛されるために生まれた」とのわたしたち一人びとりに対する呼びかけに答えるとき、わたしたちは、自分のための愛から、周りの人々のためにすこしずつ愛を分かち合うことを喜んで生きていくように変えられていきます。キリストの道を宣べ伝えつつ、その道に生きたパウロという人は、愛の掟をこのように言い表しました。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」と。この愛の掟はわたしたちにただひとつの完全な道を教えるものです。そして、同時に、わたしたちの愛がどれほどこの愛の掟に反しているか、ということも明らかにするものです。「きみは愛されるために生まれた」という言葉を素直に受け入れるとき、わたしたちは、少しずつ、この愛の掟に生きることを、周りの人々と分かち合うように変えられていきます。
新約聖書のヨハネの手紙一4章7節には、「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。・・神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」と教えられています。愛の掟を完全に生きてくださった方、イエス・キリストの十字架への道をこれからも共に学びつつ、お互いに愛し合い、その愛が周りの人々に、そして世界の人々の内に満ちていきますように、共に祈りましょう。