キリストへの時間 2006年2月19日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

宮武輝彦(芸陽教会牧師)

宮武輝彦(芸陽教会牧師)

メッセージ: 「自分の弱さを受け入れる秘訣」

 お早うございます。安芸にあります芸陽教会の宮武輝彦です。今朝もあなたとご一緒に聖書のみ言葉に耳を傾けていきましょう。

 さて、新約聖書のローマの信徒への手紙1章17節では、「正しい者は信仰によって生きる」と言われています。この「正しい者」とは一体、どういう人のことを言っているのでしょうか。イエス・キリストは、こう言われました。

 「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける」(マタイ10:41)と。

 つまり、この正しい者とは、預言者をあるがままに受け入れることと同じことです。この預言者とは、昔、神さまからのみ言葉を取り次いで、人々に語った人のことです。ですから、聖書の全体を神さまからのみ言葉として受け入れることは、預言者を受け入れることと等しいことです。つまり、正しい人とは、聖書の言葉をあるがままに受け入れる人のことです。

 それでは、その聖書の言葉をあるがままに受け入れるために大切なことはどういうことでしょうか。それは、神さまのもとに、自分のこころを低くすることです。そのためには、自分の弱いところや、みにくいところを、神さまによく知っていただくことが大切です。しかし、わたしたちは、そのような自分の弱さやみにくさを神さまに知っていただくことにとてもためらいを感じます。それは、それがとても恥ずかしく、また、自分だけがこんなにみじめなのではないか、と思い煩いやすいからです。

 イエス・キリストの福音を宣べ伝えたパウロという人はその手紙の中でこのような告白をしました。

 「…わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』といわれました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」と。

 自分の弱さを自覚するとき、かえって、キリストの力の大きさ、その強さを知ること、ここに、罪をゆるされる者のほんとうの幸いがあります。自分の弱さやみにくさを恥じる者から、キリストがそのみにくさを知ってくださり、あわれんでくださっていることを知るとき、わたしたちは、パウロと同じように、神さまとキリストに対して感謝の心さえ抱くように変えられるのです。

 旧約聖書の詩編145編10節には「主よ、造られたものすべて、あなたに感謝し、あなたの慈しみに生きる人があなたをたたえ、あなたの主権の栄光を告げ、力強いみ業について語りますように。…主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。」と告白されています。神さまのみ力は、すべての世界におよんでいるだけではなく、弱くうちひしがれうずくまっている人、ひとりびとりに向かう愛といつくしみにあふれているのです。イエス・キリストはこの神のいつくしみを身をもってすべての人々にしめしてくださったのです。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられ」(フィリピ2:6)たのです。このキリストのへりくだりに、自分の弱さをそのまま受け入れる秘訣があります。

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