タイトル: 歴史のイエスにさかのぼれる? 茨城県 M・Sさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は茨城県にお住まいのM・Sさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、いつも番組を楽しみに聴いたり、またネットで原稿を読み返させていただいています。
さて、きょうお聞きしたいことは、歴史上のイエスのことについてです。新約学を勉強している人からすると新約聖書に記されているイエスに関する事柄は必ずしも歴史のイエスにさかのぼるかどうか断定できないということのようです。それを伝えた人々の様々な信仰的なフィルターが掛かっていて、せいぜいさかのぼったとしても、イエスのことを伝えた初代教会の人々の信仰や生活にたどり着くのが精一杯だというのです。
先生はそうした学問的な前提についてどう思われますか。教えてください。」
M・Sさんメールありがとうございました。聖書をどのように理解して読むのかという問題は、わたしたちの信仰と決して無関係な問題ではありません。確かに学問的に聖書を探求するということと、信仰的に聖書を読むというのではまったく違う作業だといえばそうかもしれません。しかし、学問的な聖書研究を抜きにして聖書を解釈すれば、どんな都合の良い解釈も成り立ってしまうでしょうし、逆に学問から信仰的な前提を取り去ってしまえば…というより、そもそも学問をする人間から信仰的な前提や人生観的な前提を取り除いて学問ができるのかどうかは大いに疑問です。
そのことはさておくとして、パウロはコリントの信徒への手紙二の5章16節でこんなことを書いています。
「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。」
確かに信仰の対象としてキリストを知るには、もはや地上でのイエスの生涯はそれほど重要ではないと言えるかもしれません。けれども、パウロにとって歴史のイエスの生涯がどうでもよいという意味では決してないでしょう。むしろパウロにとってイエスが地上に存在したことは動かしがたい事実であり前提です。
さて、ここからは少し学問の話になりますが、歴史のイエスに光が当てられ、「イエス伝」と呼ばれるような研究が本格的に進められていったのは19世紀に入ってからのことです。特に有名なのはドイツの神学者シュトラウスが1835年から1836年にかけて著した『イエス伝』が学問的にエポックメイキングな研究としてその後の時代の研究に大きな影響を与えました。
M・Sさんも良くご存知のアルバート・シュヴァイツァー博士はアフリカでの医療活動で知られ、1952年にはノーベル平和賞を受賞していますが、実は新約学者としてもとても有名な人です。シュヴァイツァーは『イエス伝研究史』という書物も書き表しました。その本が1906年に初めて出版されたときの題名は「ライマールスからブレーデまで」というタイトルでした。ライマールスという人は18世紀の人です。
さて、このイエス伝の研究が盛んになると、イエス伝を書くための歴史資料が批判的に検討されるようになります。それは共観福音書、つまりマタイ、マルコ、ルカ福音書の研究に発展し、どの福音書が一番最初に書かれたのかという研究へと発展しました。さらに、そこからそれぞれの福音書のもとになる四つの資料に光が当てられるようになったのです。
そこからさらに、今度はその四つの資料がどんな風に伝わってきたのか、いわゆる口頭伝承といわれる時代に目が注がれるようになったのです。20世紀の新約学はその問題に相当な時間を割きました。
M・Sさんがご質問しているのは、この時代の学者たちの話のことではないかと思います。
さて、この学者たちの研究によれば、福音書に描かれる記事はそれを担ってきた共同体の信仰や生活の場によって脚色されたものなので、歴史のイエスにはさかのぼり得ないというものでした。
確かに、古代の伝承というものは時代と共に変化しうるものであるという現象はあながち否定できないものがあることは否めません。昔話が地方や時代によって少しずつ変化しているのはこのためです。
しかし、何百年という時代を経たものならばいざ知らず、新約聖書のイエスに関わる伝承が高々30年にもみたいない間に歴史のイエスを覆い隠してしまうほどに変化したと考えることは中々無理があると私は思います。
わたしが所属している日本キリスト改革派教会は今年創立60周年を迎えましたが、創立当初の歴史や創立者の言葉は60年経った今も、そう簡単にはゆがめることはできません。まして、権威あるイエス・キリストの言葉が30年程でもともとの文脈を離れて自由自在に一人歩きできたとはとても思えません。もっとも、初代教会の人々がイエス・キリストの言葉を自分たちの信仰生活の場に適応しなかったということもありえないことですから、それもそれで一理あるとは思います。
学問的に蓋然性をもって言えることはせいぜいそれぐらいのことです。
それから、もともとの文脈が何であったのかということとは別に、イエスの口にさかのぼる言葉かそうでないかという区別は、やはり学問的な蓋然性をもってある程度言うことができるのではないかと考えます。よく知られている基準を二つばかりあげると、一つは証言の多さです。
先ほど共観福音書は四つの資料から成り立っているという学問的な成果について触れました。これら四つの資料にヨハネ福音書を加えるとイエスの資料は五つの独立した系統をもっていることになります。これらの資料のうち少なくとも三つぐらいに共通して出てくる言葉であれば、それは間違いなくイエスの口にさかのぼる言葉と考えてよいでしょう。
それから、もう一つの基準は、その言葉がどう考えてもユダヤ教やヘレニズムの思想からは説明のつかないもの、これもイエス自身にさかのぼる言葉とほぼ断定してもよさそうです。
これはあくまでも学問的な話ですが、それでも歴史のイエスと新約聖書に記された信仰のキリストとは、批判的な学者が言うほど無残にも切り離されたものではないことが理解できると思います。
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